2014年9月22日月曜日

長い話その4(了)

ワークの時間は過ぎて行きました。ワークのあとは個別のカウンセリングが始まります。それぞれの予約時間を待つ間、会場に残った当事者たちは当事者同士で話し合うこともあります。参加する脱暴力プログラムでは、会場外では当事者同士が連絡を取り合うことや合うことは禁止されています。子供の引き離しや離婚、諍いの真只中にいる当事者同士では抱えた問題がいつ噴出するやもしれません。それぞれの傷を深め合う関係を作ってしまうかもしれません。それぞれの当事者はギリギリの精神状態なのです。私もギリギリですのでその辺りはよく分かります。とはいえ自由でそれぞれの自立的な気付きを促すこのワークでは厳格な禁止事項を意識することはあまりありません。私自身もワークのランチ時に当事者さんたちと同じ店で出くわし一緒に食事をしたり、そのままコーヒーを飲みに行ったり。その場が穏やかに過ぎて行くことがほとんどですが、穏やかさを保つことは簡単ではないという経験もありました。

私は初めての妻さんとの離婚調停をワークの数日後に控えていました。離婚調停で手紙を妻さんに渡そうとしていましたが、手紙を書いたり消したり。言葉と気持ちがなかなか一致しません。一人生活が始まったことで生活も急変しています。変化の中で様々なトラブルも起こっています。このワークの前日にはドライブスルーの駐車場内で小さな事故さえ起こす顛末。もうコーヒーフラペチーノなんて絶対飲みません。その一つ一つを乗り越える日々を過ごしながら、手紙を書くことすら、裁判所に返信することすらできずにいました。DV虐待モンスター男のレッテルを貼られた私には今の妻さんと子供の現状など誰も教えてはくれません。この8ヶ月間、真暗闇でバットを構えて、どこからボールが飛んでくるのか分からないままにバッターボックスに立ち続けているような感覚。離婚調停というボールがようやく妻さんから投げられました。暗闇の方へと私はどんな言葉を投げかけていいのか皆目分からないでいたのです。

ワークの後に調停経験者の女性Iさんに相談を持ちかけました。Iさんには私がこのプログラムに参加した当初より話を聞いたり聞いてもらったり。長い時間をかけて様々なことを乗り越えたのだろうと思える人で、乗り越えただけの幸せを知っているような人。彼女の幸せは私の希望です。その方の側には、先程のLさんが同席していました。私がIさんに相談し始めたところ、Lさんが堰を切ったように話し始めます。ああした方がいい、こうした方がいい、、開けたら最後!You can't stop、、もう、プリングルス状態です。超絶上から目線に感じてしまいます。それでも話を聞いていますが、もう私の相談内容とは大きく離れて彼女の話は進行しています。私のか弱き相談はいつの間にか討論を強いられるような様相。私はまたあれこれ考えすぎているに違いないなど、云々。と私への妄想も混入し始めているので、私は白目を剥いて今にも倒れそうでした。その場には一介の喧騒の空気さえ流れています。ごめんなさい助けて。。今のいっぱいいっぱいの未熟な私には、、あなたを受け入れることは難しいのです。ここに支援者やファシリテーターの方がいるとその場を上手く受け流してくれるのだろうと思います。当事者同士では難しいこともあることを改めて体験しておりました。私はIさんに相談したいと思って来たのです、、息も絶え絶え、ようやくそのように伝えると、私がLさんのことを否定したと思わせたのかもしれません、、ぷいとその場を離れて行きました。その後、別れ際に挨拶をしてももはや返答はありません...orz。私にスキルがあればその場をもう少し穏やかに収めることもできたかと思います。

これは私個人の物語なのですが、悩めるDV子羊の私に上記のような体験がありました。同級生のネバーエンディングストーリーと、Lさんとの体験は、私の中の何かと結びつこうとしてモヤモヤしていました。長い話、その思いの強さ、自己防衛(私の苛立ち・・)。ワークの後しばらくした頃、それは私自身の過去の姿と結びつき始めました。DVへと繋がった私自身の問題そのものだということに気付いたのです。妻さんとの共同生活では、私の思いも強かった。。

それに以前の私は2人のような行動には怒りやコントロールを持って対処してきたのだろうと思います。攻撃だと感じたものに攻撃することで怒りやコントロールから自分自身を防衛していたのでしょう。怒りやコントロールという攻撃に応戦することで、その場の諍いはその場では分散するかも知れませんが、それは一時凌ぎのものだと今なら分かります。私と妻さんはそんなことをお互いに知らず知らず繰り返していたように思えます。もし、、私が自分の正しさによって相手を責め立て、私の正当性を死守したとしたら。。私はその相手を悪者として排除するという攻撃をし続けることになったのかも。ワークの後、抱えていた一介の不快さや葛藤は、気付きをくれた感謝へと変化することで中和されていきました。

ワークに参加する当事者には、当事者として過ごしてきた時間の差異もあります。私は参加し始めて半年。数年参加されている方や、初めての参加者も。ワークでの当事者の語らいでは乗り越え成熟し始めた先人達と、ほやほやでがちがち(当初の私はそうでした)の後人達が交じり合って話し合います。先人たちは後人の言動を通して自分が過ごしてきた時間を、後人達は先人の言動を手本として、それぞれが自分の姿を省みる場所としても機能しているようです。怖くないよ、大丈夫。勝たなくてもいい。。大丈夫。分かってもらえなくてもあなたは大丈夫。あなたはあなたのままで生きていける。。葛藤や怒りの衝動の体験を通して、また一つ自分の中の不安を解消する体験にもなりました。

翌日、調停でお渡しするつもりの妻さんへの手紙を書きながら、私の中に隠れた強い思いや執着をひとつひとつ手放していきました。2人を通した出来事との出会いに感謝しながら、妻さんと我が子への正直な思いを隠すことなく、私は私を信じて前へと進みたいと思います。

長い話、了



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